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画像|森進一&森昌子の息子は3人(TAKA・HIRO)でスパルタ教育が凄い!

2005年に離婚された森進一さんと森昌子さん。

2人の間には、男児3人に恵まれ、長男は、森内貴寛(ONE OK ROCK・Taka)
三男は、森内寛樹(MY FIRST STORY・Hiro)さん。

2人もの有名ロック歌手として活躍する息子さんをお持ちです。

そんな森内家は、子供立ちへの教育は門限を破ったら家に入れない、18歳になったら強制的に家を出すという独自の子育てで3人を育てています。

今回の記事では、森進一&森昌子さんの息子3人への教育法をエピソードを交えながらご紹介していきたいと思います。

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目次

【画像】森進一&森昌子の子供は3人!

森進一さんと森昌子さんは、1986年(昭和61年)10月1日に結婚。

森進一さんと森昌子さんの間には、3人の子供に恵まれています。

  1. 長男:森内貴寛(ONE OK ROCK・Taka)
  2. 次男:森内智寛
  3. 三男:森内寛樹(MY FIRST STORY・Hiro)

 

長男 : 森内貴寛(ONE OK ROCK・Taka)

森内貴寛
  • 芸名:Taka
  • 本名:森内貴寛(もりうちたかひろ)
  • 出身地:東京都
  • 生年月日:1988年4月17日
  • 年齢:32歳(2021年1月現在)
  • 学歴:慶應義塾湘南藤沢高等部中退
  • デビュー:2003年
  • 所属事務所:アミューズ(2006年〜)
  • 元所属事務所:ジャニーズ(2001年〜2003年)

ロックバンド・ONE OK ROCKのボーカルとしても有名なTakaさん。

2001年にジャニーズ事務所に入所し、NEWS結成時のメンバー9人のうちの1人でした。

しかし、2003年に事務所退所し、2006年にアミューズと契約し2007年4月に「ONE OK ROCK」としてメジャーデビュー。

現在も日本にとどまらず世界でも歌手活動をされ活躍されています。

次男 : 森内智寛

森内智寛
  • 本名:森内智寛(もりうちともひろ)
  • 生年月日:1989年
  • 年齢:
  • 学歴:慶応義塾幼稚舎→慶応義塾湘南藤沢中等部→慶応義塾湘南藤沢高等部→慶応義塾大学卒業
  • 職業:テレビ東京社員

次男である森内智寛さんは、現在一般人としてテレビ東京のADさんをしているそうです。

2012年9月10日の「ハレバレとんねるず」で番組にも出演されています。

森内さんは、テレビ東京に今年4月に入社したばかりの制作局に勤務する新人AD。ロビーの応接スペースに座った2人にお茶を出すと石橋に「ジョイマンに似てるよね」といじられた。さらに、ものまねを要求され「おふくろさん」を歌った。「お母さんの一番好きな料理は?」と聞かれ、「あまり作ってもらったことがない…」と笑いを取っていた。

引用:日刊スポーツ

森内智寛さんは、森内家の中でも音楽関係には一切かかわっておらず、芸能界の裏方として活躍されているようです。

2015年6月には結婚され家庭を築かれているようです。

3兄弟の中では1番堅実な道を選んでいると言えるのかもしれませんね。

三男 : 森内寛樹(MY FIRST STORY・Hiro)

森内寛樹

芸名:Hiro
本名:森内寛樹(もりうちひろき)
出身地:東京都
生年月日:1994年1月25日
学歴:多摩大学目黒高校
デビュー:2002年
所属事務所:MY FIRST STORY – 森内寛樹がHiroとして所属するバンド
INTACT RECORDS – 上記バンドのメンバーとしてリリースするレーベル
元所属事務所:ジャニーズ(2002年〜2005年)

次男は、人気ロックバンド「MY FIRST STORY」(通称マイファス)のボーカルHiroさん。

長男・TAKAさんと同じように2002年にジャニーズ事務所に入所されていました。

当時、小学3年生(8歳)であったため、最年少のジャニーズJr.だったHiroさん。

Hiroさんは、TAKAさんのようにグループとしてデビューはされていないものの、「ya-ya-ya-」「少年倶楽部」には出演されていました。

2005年までジャニーズとして活動された後に退所。

2011年8月、ロックバンド「MY FIRST STORY」をデビュー。

長兄・Takaさんに負けない迫力ある高音の歌声が魅力で人気で、2021年1月20日には本名の森内寛樹としてもソロデビューされています。

2020年11月21日に放送された「まつもtoなかい~マッチングな夜~」で、森進一さんとの初の親子共演を果たし、「襟裳岬」を歌うなど話題となりました。

そして森内寛樹さんと言えば、トークの面白さもズバ抜けています。

昨年テレビで共演したダウンタウン・松本人志からは「君、何でそんなに、しゃべり達者なん?R-1(ぐらんぷり)出てんの?!」と驚かれたセンスの持ち主でもあります。

そのキャラクターから、バラエティ番組の出演なども増えてきています。

このように立派に成長された3人の息子さんを持つ、森進一さんと森昌子さんですが、2005年から不仲説などが取り上げられ2005年4月19日離婚を発表されています。

しかし、SNS上には息子さんたちとの交流はこれまで通りで仲の良さが伝わるお写真も挙げられています。

【森昌子さん&TAKAさん】

【森進一さん&TAKAさん】

【森進一さん&Hiroさん】

森進一さんと森昌子さんは、幼少期の頃から息子3人への独特な教育法があったといいます。

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森進一&森昌子の息子3人へのスパルタ教育方針が凄い!

森進一さんと森昌子さんの「森内家」では、幼少期から教育に厳しく徹底しており独特な教育法があったといいます。

そのエピソードについてご紹介していきたいと思います。

①兄弟間でも敬語

森内家では、幼少期から教育に厳しく小さいうちから縦社会を教えることを徹底してたのだそうです。

2018年5月12日に放送された『おかべろ』では、¨森内家の特別な決まり¨として、「長男に対して弟二人は敬語を使うルール」があったことを明かしています。

久々に兄弟が集まった時の会話はこのような感じ。

「お兄さん、お久しぶりです。お元気でしたか?」

家族で食事の際には、

「お兄さん、何を召し上がられますか?」

「お兄さん、何をお取りしましょうか?」

このためか、男児3人でもあるにもかかわず「兄弟げんかは見たことがない」そうです。

森昌子さん自身が祖父母に育てられ甘やかされて育ったため、引っ込み思案で内向きな性格であったといいます。

それを反面教師に息子たちのしつけは厳しく、言葉使いをはじめとする生活態度には気を配っていたのだとか。

②兄弟の呼び名は1番・2番・3番

森内家は、長男、次男は年子、三男はその4年後に生まれています。

当日3人の育児を一手に引き受けていた森昌子さんは、余裕がなかったことから、上から1番、2番、3番と呼んでいたことを明かしています。

物心がつく3歳までは、長男を「1番」、次男を「2番」、三男を「3番」と番号で呼び、兄弟同士でも年上の兄には敬語を使わせます。

引用:東洋経済

「ダウンタウンなう」(金曜後7・54)に出演した際には、携帯番号の登録も1番2番3番も登録しているとお話されていました。

松本人志(52)が「今はさすがにないですよね?」と聞くと、森は「今もそうですよ。今年の正月も『おい、1番』『はい』と」。さらに松本が「まさか携帯に1番2番とか入っている?」と問うと、森は「1番2番3番で入っている」と明かした。

一度自分の頭で考えさせる

教育で重視したことの1つに、3歳以降はとことん「言葉で言い聞かせたり、話し合ったり、親の姿勢を態度で示す」ようにしていたといいます。

例えば、小学生に上がる頃に、息子たちさんたちには、以下のような話し合いをしていたそうです。

森昌子:「なにかママに言いたいことがある?」

息子:「ありません」

森昌子:「早く終わらせたいからそう言ってるんでしょ」

息子:「あのときは、ああするのがよかったのかなとボクは思ったんですけど……」

森昌子:「でも、それはどっちかな。自分で考えて答えが見つかったら、もう一度ママのところにもってきてごらん」

息子:「わかりました」

このように、その場ですぐに結論を出さないよう心掛けていたそうです。

その理由は、答えを先に言ってしまうと「思考がストップしてしまうから」なのだとか。

¨子どもには考える時間を与えて、自分の頭で考える力をもたせる¨というのが普段の森内家の習慣になっていたそうです。

③食事のルールが厳しい

まだ食事も上手に食べれない幼少期のころ、以下のようなしつけを行っていたといいまさ。

  1. スプーンを放り投げてしまう→スプーンと手を輪ゴムで縛って離れないようにする
  2. 左手ばかりを使っていた次男→右利きに矯正するために食事中に左手をイスに縛りつける

息子たちの幼少期には食事中に使っていたスプーンを放り投げてしまうことを見たことを振り返り、スプーンを輪ゴムで手に縛りつけ、離れないようにしたという。左手ばかりを使っていた次男には、右利きに矯正するために食事中に左手をイスに縛りつけるなど妥協はなし。

引用:サンスポ

厳しくしつけをされていた森昌子さんは、少しやり過ぎとも思えるようなことにも森は「今のうちに直さないとだめだと思ってくくりつけました」と説明しています。

更に、家族での食事の時は、

父親が箸をつけた後→長男のTaka→その後次男→三男

がというルールがあり大人になった現在でも守られているのだとか。

こちらも縦関係を教える教育の一つだと思われますが、徹底ぶりが凄いですね(^^)

④門限を破ったらセコムでロック

森内家では、門限を設けており破るとセコムで玄関をロックをしてしまい絶対に食べ家の中に入れないというルールがあったようです。

大きくなってからは門限を設け、それを破ったら絶対に家の中には入れません。

引用:サンスポ

約束はきちんとと守るという教えを徹底されていたのかもしれませんね(^^)

⑤18歳で独立させる

森昌子さんは、「18歳になったら家を出す」という考えを息子たちが生まれた瞬間から、将来は絶対にそうしようと決めていたといいます。

わが家では18歳になったら、強制的に独立させるのが流儀。3兄弟はみな、そうしました。それぞれ中学3年生の終わりくらいになると、3年後の独立に向け、心の準備をするように“お達し”するのです。

引用:東洋経済

森昌子さんは、「18歳になったら家を出す、18歳になったら出す」と子供が乳母車に乗っていたころから呪文のように心で唱えていたそうです。

「18歳になったら家を出す、18になったら出す」

と心の中で呪文のように唱えながら、乳母車を押していたものです。

引用:東洋経済

息子たちが中学の終わりくらいになると必ず、

「さあ、もうすぐ高校生になります! 18歳になったら家を出て自活してください。あと3年ですよー」

と言い放っていたのだとか(^^)

実際、自立させるといっても、

  • 家賃
  • 光熱費
  • 学費

などは両親が面倒を見て、それ以外の生活費やお小遣いはアルバイトで稼ぐよう伝えていたたようです。

このように森昌子さんが「18歳で独立」を徹したわけは、¨将来いろんな考え方に対処できるようになってほしかったから¨なのだそうです。

それぞれ将来大黒柱になって長い人生でなんらかの壁にぶつかったとき、いろんな考え方をもって対処できるようにしたかったのです。

引用:東洋経済

森昌子さん自身が、幼少期甘やかされて育ったことから、「わが子にはそうなってほしくない」という反面教師のような育児でもあったと語っています。

3人の息子たちに将来、一家の大黒柱になって幸せな家庭を築いてほしいという母親の愛情から、あえて独立させる教育をしていたようですね。

⑥反抗期にも臆せず戦う

男3人を育て上げた森昌子さん。

反抗期も大変だったそうですが、臆せず向き合っていたといいます。

「3人とも反抗期はもちろんありました。そのとき私は臆せず息子に立ち向かおう、息子と闘おうと思いました。ですから、取っ組み合いや殴り合ったこともありましたし、一度ですけど、長男が向かってきたときに、私は台所から包丁を持ってきて『おまえを殺して、そのあと母さんも死ぬから』と言ったことがありました」

引用:女性自身

息子に包丁を向けるほど、必死だった様子が伝わりますね・・(^^)

反抗期も本音で向き合った森昌子さんのおかげもあり今でも親子の仲が良いのかもしれませんね。

森昌子流スパルタ&独創的子育て”の本、『母親力』はこちらからも購入できます(^^)

森内家での教育法は少し厳しいと感じる方もおられるかもしれませんが、それらはもちろん愛情があってのこと。

  • 母親に依存せず、年上を敬い
  • 自分のことは自分でする
  • 息子を「メシが食える男」にしたい

森昌子さんのそんな想いから、幼いうちから身に付けさせ自立した大人になり幸せになってほしいという愛なのですね。

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まとめ

今回の記事では、森進一&森昌子の息子3人(TAKA・HIRO)へのスパルタ教育が凄い!というタイトルでお送りしました。

一見厳しく感じる森内家の教育法ですが、それは子供への愛情があってのこと。

3人の息子さんは、現に立派に活躍されていますよね(^^)

森内家の教訓を活かして今後も、成長されていくTAKAさん、智寛さん、Hiroさんを応援し続けていきたいと思います。

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