力強い発言やコロナ政策などで注目を浴びている吉村洋文大阪府知事。
そんな吉村知事はどんな生い立ちを過し、大阪府知事にまでなることができたのでしょうか。
そこには数々の努力があったようです。
今回の記事では、吉村知事の幼少期からの大阪府知事になるまでの生い立ちをまとめました。
目次
吉村知事プロフィール
- 氏名:吉村洋文(よしむら ひろふみ)
- 生年月日:1975年6月17日
- 出身地 : 大阪府河内長野市
- 年齢:44歳 ※2020年5月現在
- 身長 : 178cm
- 座右の銘 : 意思あるところに道は開く
吉村知事は、44歳の若さで大阪都知事に就任されています。
これは全国の知事の中でも二番目の若さとして知られています。
吉村洋分さんの実家は、大阪府河内長野市にあります。
そして吉村家の次男として誕生しました。
【吉村知事の家族構成】
- 父親
- 母親
- 兄
- 吉村知事
吉村洋文さんは実家で4人暮らしで育ち、父親はサラリーマンのごく普通の家庭だったようです。
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では、幼少期からの生い立ちを更に詳しく見ていきたいと思います。
吉村洋文の生い立ちが凄い!幼少期から知事になるまでの努力の物語
吉村知事の幼少期からの生い立ちを振り返っていきたいと思います。
幼少期〜小・中学生時代
吉村知事は、地元河内長野の小学校・中学校を卒業されています。
・河内長野市立千代田小学校卒業
・河内長野市立千代田中学校卒業
吉村知事の子供時代は文武両道で、勉強もスポーツも頑張っていたようです。
吉村知事は、子供時代に剣道を習っていたそうです。
日本遺産に認定された河内長野市。どうでもいい話だが、僕の生まれ故郷で、市立千代田小、千代田中に通った。子供時代は剣道をしてたのでこの記事の観心寺での剣道大会にもよく行った。河内長野は自然と歴史が豊かな所なので、一度足を運んでみて下さい。 https://t.co/xLHzGyJThE
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) May 20, 2019
吉村知事もよく「観心寺」での剣道大会によく行ったと記述している通り、観心寺では毎年、少年剣道大会も開かれています。
「観心寺」は、近代宮殿建築を代表する建築物として国の重要文化財にも指定されているお寺のようですね。
大会は、小学生〜中学生を対象に行われているようなので、吉村知事も小学生〜中学生時代は剣道をしていたものと思われます。
剣道をやっていた人は、個人的には強い、真面目、鋭いといったイメージがあります。
毎日、コロナ関連の政策を寝る間も惜しみ打ち込む今の真面目な吉村知事の性格も剣道をしていたことからきているのかもしれません。
会見の際の目つきも鋭く、剣道で相手を見つめる際目つきのようですよねw
剣道では「精神を鍛える」という表現がよく使われるようです。
現在大阪府知事として難題に答えていく吉村知事の強い精神も、剣道で鍛えられたのかもしれませんね。
そんな吉村知事ですが、少年時代は子供らしい一面があったことが分かります。
大晦日の日についても語っていますが、「除夜の鐘の音にワクワクする」といった可愛い少年だったそうです。
うるさいと思ったことは一度もないけどな。逆に子供の頃は大晦日の除夜の鐘が聞こえてくるとワクワクしたよ。1年に1回の伝統行事にもう少し寛容になっていいだろう。
〉除夜の鐘ってうるさい? 札幌の寺院、苦情受け中止に(北海道新聞) – Yahoo!ニュース https://t.co/ocUqjs1uAt— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) December 27, 2019
また、子供時代に「な〜んでか?」をよく聞くような少年だったことも語っています。
参議院の定数は増加させたが、給料削減案は今国会見送ったんだって。な〜んでか?(子供の時によく聞いた「な〜んでか?」風に)。あとは有権者の皆さんの判断にお任せします。 https://t.co/iXJrw4l41h
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) December 11, 2018
「な〜んでか?」というのは、歌うお笑い芸人、堺すすむさんの持ち芸であるフラメンコを演奏しながらなぞなぞを出題するこんな感じの芸です。
今は優秀で有能だと言われる吉村知事ですが、少年時代はごく普通の子供らしい子供だったことがわかります。
しかし、吉村知事が経済に関しては幼い頃から興味があったと思われるエピソードもあります。
なんと、中学時代の愛読書は公民の教科書だったと言います。
あまり愛読書に教科書を挙げる人は少ないように思いますが・・
吉村知事は、このときから早くも司法を目指していたのかもしれませんw
高校〜大学までの生い立ち
地元の中学校を卒業した吉村知事の高校、大学はどのような生活を送っていたのでしょうか。
・大阪府立池野高等学校卒業
・九州大学法学部卒業
大阪府立池野高等学校に進んだ吉村知事ですが、偏差値は70以上て、卒業後は京大や関西大学などの有名大学に進学する人が多い高校だそうです。
学問にも力を入れている高校のようですが、文武両道が校訓の高校のようです。
そして、吉村知事はその校訓そのもののような生徒だったと同級生が語っています。
「文武両道が校訓の高校ですが、校訓そのもののような生徒でした。性格は今のイメージとは反対で、口数も少なく、みんなを引っ張っていくリーダータイプでは決してなかった。みんながしゃべりきったあとに、落ち着いた感じで最後にボソッと言って、みんなの意見をまとめるようなタイプです」
吉村知事の高校同級生より
高校時代には、リーダータイプではなかったものの既に「みんなの意見をまとめる」という素質を持っていたようです。
当に今の知事と求められることが出来ていたということですね〜!
文武両道の校訓だということもあり、吉村知事もラクビー部に所属し、毎日遅くまで練習に明け暮れていたそうです。
ラグビーといえば、昨年行われたラグビーW杯ではメンタル面の強さにも注目が集まりした。
あるスポーツ心理学者である学者によると、
「ラグビーのリーダーシップは素質ではなくスキル。だから身につけられる」
と語っています。
現在の吉村知事のリーダシップ感は、高校時代に打ち込んだ、ラグビー部のメンタル面からも磨かれたものだったのかもしれませんね。
中学・高校とも勉強、スポーツどちらにも手を抜かず努力した姿が分かりますね。
そんな高校時代では、吉村知事は弁護士になるという夢を持っていました。
その為吉村知事は、旧帝大とも言われる九州大学法学部へ進学されています。
旧帝国大学(通称「旧帝大」)は、
最難関の国立大学群を指す呼び方です。
北海道大学・東北大学・東京大学・名古屋大学・京都大学・大阪大学・九州大学の7つの国立大学を指します。
戦前に「帝国大学」として日本各地に設立された由緒ある大学で、国公立大学の中でも最難関の大学群。
九州大学法学部は偏差値62で、滑り止めに関関同立と言われる立命館大学や、関西学院大学を受ける人も多いと言われています。
偏差値62というと、センター試験でどの科目も8割overの点数を取っているような感覚のようです。
そう思うと、難関大学に現役合格している吉村知事はとても凄いですね。
そんな難関大学に現役合格するなんて、さぞかし大学受験は苦労したのではないか?と思われますが、吉村知事はこのようにコメントしています。
「高校はラグビー部で、毎日毎日、遅くまで花園を目指して楕円球(だえんきゅう)を追いかけていました。勉強は不十分でしたが、良い青春時代でした。」
難関校に一発合格しているにもかかわらず、勉強が不十分だったと明かしています。
実はもともとは、九州大学が第一志望でなかったという吉村知事。
センター試験で失敗して、第一志望大学へは断念したのだそうです。
「現役で合格」にこだわり選んだのが九州大学です。
ということは、九州大学よりも難易度が高い大学が第一志望だったということでしょうか。
吉村知事はラグビーやりすぎて志望校を九大に落としたらしい。関西から出たくはなかったと言っていたことを推察すると、本当は京大か阪大に行きたかったと思われる。
— Falcaokubo (@falcaokubo) February 26, 2020
このようなツイッターの発信もあったので、関西の有名大学への進学も考えていたようです。
こちらは吉村知事が作成した人生設計図ですが、確かに第一志望ではなかった九州大学入学の際に折れ線グラフが下がっています・・!
関西から離れたくないという思いからも、大阪の地元愛がとても高かったのでしょうね。
センター試験で失敗してしまった吉村知事ですが、入学した九州大学では「たくさん勉強しよう」と夢だった弁護士に向け努力することを決心します。
「人生で一番勉強した」
と語っています。
大学2年生の時から司法試験合格の為に猛勉強を重ねた吉村知事は、大学卒業と同時に合格率3%といわれる難関司法試験に合格します。
ちなみに、勉強も頑張っていましたが彼女もいて、大濠(福岡中心部の公園)でデートしたことも思い出としてあるのだそうですw
大学時代は、勉強も青春も謳歌していたのですね♪
大学卒業〜知事になるまでの生い立ち
吉村知事が大学を卒業した後は、このように知事就任へと進んでいきます。
1998年3月 九州大学法学部を卒業
同年10月 23歳で司法試験に合格
2000年 25歳で弁護士登録
2011年 35歳で大阪市会議員として出馬、当選。
2014年 39歳で維新の党から衆議院議員として出馬、当選。
2015年 40歳で議員辞職願を衆議院に提出、同年11月大阪市長選に当選
2019年 44歳で大阪府知事に当選
吉村知事は、難易度か高いとされる司法試験に大学卒業と同時の23歳で合格しています。
弁護士時代のことを吉村知事はこのように語っています。
「広い視野で戦略的に物事を捉え、問題解決し、結果を出すために何が必要かを考える日々に明け暮れていました。」
弁護士時代も、今と変わらぬ考え方を持ち行動していた様子が伺えます。
また、40歳という若さで大阪市長に、44歳で大阪都知事に就任されています。
全国の都道府県知事の中で、北海道の鈴木直道知事に継ぐ2番目の若さです。
政治家を目指したきっかけについては、
「大阪の古い政治から脱却し、大阪が日本のもう1つの軸となることを目指す新しい大阪をつくりあげる大阪維新の会の理念に共鳴したから。」
と語っています。
また大阪市長選に出馬したきっかけは、
「大阪都構想が否決されたのを受け、橋下市長が引退されることになったものの、その理念をしっかり受け継いで大阪の改革を前に進めていかなければならないと考えたからです。」
だそうです。
現在、大阪府都知事として頑張っている吉村知事の姿をみているとしっかりと大阪府民へ尽くしているのが分かりますね。
大阪府府知事になるまで、なりたくてもなれるような簡単なものではありません。
吉村知事の幼少期からの努力が実り、政治家として活躍することができたのだと感じました。
まとめ
今回の記事では、吉村知事の幼少期から知事になるまでの生い立ちをまとめてみました。
吉村知事の生い立ちをまとめてみるとこのようになります。
- 日本遺産にも登録されている地元で自然と歴史がある環境で育った
- サラリーマンの家庭でごく普通の幼少期を過して育った
- 文武両道の学生時代を過した
- 中学の愛読書は公民で、経済に既に興味があった
- 大学時代は人生で一番勉強した
生い立ちを見てみると、歴史や自然に囲まれた環境で育ったからこそ大阪への地元愛にも強いことが分かります。
また、吉村知事は努力に努力を重ねて大阪府知事にまてなることができたようですね!
吉村知事のように努力を重ね、夢を諦めない生き方を見習いたいですね。