堀米優斗

堀米雄斗の父親もプロスケーター?金メダルは父親のスパルタコーチのおかげ?

東京オリンピックから正式種目となった、スケートボード男子ストリートで初代王者に輝いた堀米雄斗さん!

そんな堀米雄斗さんがスケートボードを始めたきっかけが父親だということで、父親・亮太さんはスパルタコーチだったようで、金メダル獲得できたのも父親のおかげなのか?

ということをまとめていきます。

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目次

堀米雄斗のプロフィール

堀米雄斗
  • 本 名:堀米雄斗(ほりごめ ゆうと)
  • 生年月日: 1999年1月7日
  • 出身地:東京都江東区
  • 身 長:170cm
  • 体 重:55㎏
  • 所 属:XFLAG
  • 職 業:プロスケートボーダー

引用:wikipedia

2021年7月25日に2020年東京オリンピックスケートボード男子ストリートにて初代王者金メダルを獲得しました!

スケートボードを始めたのは6歳のころで、スケートボード選手として活躍されていた父親の影響で始めたようですね!

父親と近所の公園でスケートボードを始めたことがきっかけとなり競技を始めたようです。

2014年・2015年には2年連続で日本スケートボード協会(AJSA)年間グランドチャンピオンに輝く

引用:wikipedia

高校生にして日本のトップに立つ活躍をみせていたようですね!

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父親亮太さんはプロスケーター?職業は?

堀米雄斗選手の父親ですが、名前は亮太さんというようです。

出身は埼玉県で東京に移住したのでしょうね。

そして、職業はプロスケーターかどうかについてですが、プロスケーターではないようです。

職業を調査しましたが、職業は不明でした。

1974年10月11日生まれの47歳で、お若いお父さんですね。

そんな亮太さんのこれまでの経歴について?点でまとめます。

①スケートボードを始めたきっかけは?

亮太さんは中学1年生の時に、友人に誘われてスケートボードを始めたことがきっかけのようです。

そこから、毎日のようにスケートボードに明け暮れた青春だったとお話しをされていまいした。

地元の八潮の中学に入るといろんな地域の小学校の奴が集まってくるでしょ、
それで仲良くなった奴にスケートボードをやってるっていう奴がいて、そいつがバナナクラブの板に乗っててね、
まぁ、よくある話だけど、運動神経には自信があったからそんなもの軽くできるだろうと思って乗ってみたら予想外の動きに一発でガツーン!ってやられちゃって…

その頃親父に上野によく連れて行ってもらっててさ、たまたまアメ横のムラサキスポーツの前を通りかかったらフリースタイルの映像が流れてて、それ見たらこの前の経験と合わさってスケボーやりたい!ってなっちゃったんだよね。
で、親父に頼み込んで買ってきてくれたのが、当時二木の菓子かロンドンスポーツあたりで売ってた
2,000円位のオモチャのスケボーでさぁ…(泣)

バナナクラブの板に乗ってる友達に見せたらそんな板じゃだめだよ!とは言われながらも
何とか一応チックタックくらいはできるようにはなったけどね。

引用:interstyle

亮太さんは雑談形式で出演されたさいのものがインターネットに残っていました。

堀米雄斗さんは非常にクールな性格だったので、そんな堀米雄斗さんのお父さんは厳格な方をイメージしていましたが、面白い方の印象です。(笑)

②現役時代

現役時代は100人前後の参加選手がいる中で、5位に入るくらいの腕前だったようです。

ただし、賞レースには興味がなかったようで、主には動画・映像が好きとのことで、トリックを映像に残すことを中心に活動していたようです。

オレは若いころにあんまりコンテストには出なかったんだけど、
ユウトがコンテストに出るようになって、仲間と楽しそうに競い合ってるの見ると
オレももっと出とけば良かったなぁって思ったもんね。

その昔珍しくマップスでやったAJSAの大会に出たことがあったんだけどね、
練習だとバンクtoバンクでスイッチトレもスイッチヒールも100%メイクしてさ、
優勝候補なんじゃねーか?なんて周りに言われてたんだけど、、、
本番でね、いざ自分の番になって滑ったら、トレはポップになっちゃうしさ、
ヒールなんてプレッシャーフリップになっちまうし。。。笑
緊張なんかしてるつもりなんかなかったのに、気合入り過ぎて空回りしてリキんじゃってねぇ。。

そーいやこんな話もあったね、当時は結構いろいろな場所で大会が開かれててさ、
原宿のガッタガタの路面でやった大会にクリスマーコビッチが来てたことがあってね、
本当にプッシュするもの厳しい感じの路面でさ、マーコビッチが何の技だったか忘れたけど失敗して板がサーって流れたのよ、でね、誰とは言わないけど身内の足元にその板が来たから周りの連中が「おい!その板持って逃げろ!」ってふざけて言ったら本当に持ち逃げしてったんだよねぇ。笑

一応当時100人前後がエントリーしてた大会で最高5位くらいに入賞したこともあったよ。まぁ、コンテストの結果が全て!って感じなるのはあんまり良いことじゃないと思うんだよね。第一、そんなスケボーしたって面白くないでしょ。

コンテストにもたまには出てたけど、結局オレはビデオのトリックを追ってたかな?
1990年代になるとやっぱりコストンとかガールチームの影響がすごくてねぇ。
今ユウトがコストンとかマリアーノ達とツアーに回ったりしてるけどさ、
当然凄いことなんだけどね、オレにとってはコストンとかマリアーノなんて
神みたいな存在だからさ、怒らせたり失礼な事してないかって心配になっちゃうよね。笑

引用:interstyle

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③長男雄斗の誕生後

今回金メダルを獲得した長男雄斗さんの誕生前方スケートをやめていたそうです。

しかし、自身がスケートに行くために、雄斗さんを口実にしてスケートに出て言っていたそうです。

それがきっかけで堀米選手もスケートをやり始めたのだとか。

父親の発言

・初めはユウトに教えるっていうよりも完全にオレ優先。
・ヨメさんに対して自分が滑りに行く口実を作ってた

面白い方ですよね。笑

自信がスケートをやるために、雄斗さんに教えると口実を作り奥さんに言い訳していたとのことでした。

奥さんの尻にしかれている、かかあ天下の家族なのでしょうか?

スパルタコーチだった?

今の雄斗さんの実力があるのは、幼少期の父亮太さんのスパルタコーチがあったからだと言われています。

自分がスケートをするためのダシとして連れて行っていた雄斗さんにはやめてもいいかという気持ちでスケートを教えていたとのことでした。

自分もスケーターだからさ、
最初にスケートボードの厳しい部分を教えて嫌になるならやめちゃえばいいかな?って思ってたよ。

引用:interstyle

父亮太さんは雄斗さんに対して、基礎となる練習ばかりをさせていたようです。

ここでの基礎練習が、体幹を鍛えることになったようですね。

練習はバーチカル(ハーフパイプのような施設)でばかりしていたとのことでした。

そしてその練習はとにかく毎度毎度基本を厳しく教えたようです。

同じ場で練習していた人たちからは、凄いスパルタの父親と思われていたようです。

とにかく毎度毎度基本を厳しく教えてたから
その頃見ていた周りの人たちからは、何が何でもユウトをプロにする!っていう感じの熱血親父に思われてたかもね。

引用:interstyle

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息子・雄斗さんにアドバイス

演技前には息子雄斗さんにアドバイスをLINEしていたとのことでした。

  1. 一人じゃないチームで闘っている
  2. 誇りを感じろ
  3. 一度腹から大きな声を出せ

このアドバイスを送っていました。

それに対して雄斗さんは「わかってる」だけの返信。(笑)

クールすぎますね。

しかし、このアドバイスも効いた?のでしょう!見事金メダルを獲得しています!

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まとめ

今回の記事では、堀米雄斗の父親もプロスケーター?金メダルは父親のスパルタコーチのおかげ?

としてまとめました。

  • 父親はプロスケーターではなかった
  • 職業はわからなかった
  • 昔スケートボーダーとして活動していた
  • 雄斗さんに対してはスパルタだった
  • 雄斗さんとは真逆で面白い方

ということが分かりました!

非常にユーモアのあるお父様の印象で、こうしたユーモアのあるお父様のもとでのびのびとスケート技術を伸ばして行けたことが雄斗さんの金メダル獲得につながったのでしょうね!

雄斗さんの今後の活躍にも目が離せません!

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