ルックス良く高いトーク力を持ち、トップYoutuberとして昇りつめたヒカル(HIKARU)さん。
現在は400万人以上の登録者数を超し、総資産は40臆円とも言われています。
ヒカルさんについて、これまでどのような生い立ちを過ごされ現在に至るのか気になる方も多いのではないでしょうか?
ヒカルさんは、このポジションに上り詰めるまでは壮絶な紆余曲折があったそうです。
今回の記事では、ヒカルさんの生い立ちを振り返っていきたいと思います。

目次
ヒカルのプロフィール
あけましておめでとうございます。
2020年も宜しくお願いします。年末はほとんど寝てました。
年始も同じくらい寝ます。
起きる時間を決めずに眠れる幸せに酔いしれます。新年からYouTubeも変わらず動画出してくのでお正月暇な人は見てください。
あけおめ⛩🎍 pic.twitter.com/Sv8oPOdvgd
— ヒカル【NextStage】 (@kinnpatuhikaru) December 31, 2019
- 名前 ヒカル
- 本名 前田圭太(まえだ けいた)
- 生年月日 1991年5月29日
- 年齢 29歳(2020年7月現在)
- 血液型 O型
- 身長 175cm
- 体重 不明
- 最終学歴 神崎高校(卒業)
- 出身地 兵庫県姫路市
- 所属 フリー
ヒカルさんは、2013年6月1日に「Hikaru Games」を開設。
2016年3月18日には「ヒカル」としてYouTubeチャンネルを開設。
2016年8月に公開した祭りくじ動画で「祭りの闇を暴いてくれた」「正義の味方」と評判を呼び登録者が激増。
自分の能力を開花させる意味でもどんどんYoutubeの動画に登場するようになりました。
YouTuberや起業家として活躍されることとなったヒカルさんの生い立ちを詳しく見ていきましょう。
幼少期:口が立つ子供
ヒカルさんの家族は、
- 父親
- 母親
- 祖父
- 祖母
- 兄
でヒカルさんを入れて6人家族の末っ子として育ちました。
ヒカルさんは「市川町立鶴居小学校」に通っていました。
球技は得意だったようですが
- 「逆上がり」
- 「一輪車」
- 「登り棒」
などは苦手な子供だったそうです。
ヒカルさんは、小学生の頃から口が立つ子供だったそうで、本人曰く「大人を論破することが得意だった」ようです。
自信家である性格は生まれつきのようで、子供の頃から「自分は天才だ」と思っていたヒカルさん。
しかし、周りの人間からはあまり良い評価を受けることがなく不満を感じていたとのこと。
子供のころは漫画やゲームが趣味で、兄の「まえっさん」と、2人で競いながらゲームで遊んでいたそうです。
中学時代:1人だけ金髪の長髪

ヒカルさんは「市川町立鶴居中学校」に通っていました。
学校名 | 市川町立鶴居中学校 |
---|---|
所在地 | 〒679-2333 兵庫県神崎郡市川町神崎873番地 |
設立年月日 | 1947年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
公式HP | https://www.fureai-cloud.jp/ichikawa/home/index/tsuruityu/gakou |
ヒカルさんは、中学生時代は野球部に所属していたそうですが、なんと1人だけ金髪の長髪だったと言います。
本人曰く、当時から芯のある人間だったそうです。
高校時代:口が立つヤンキー→「現状を変えなくてはいけない」と思い立つ
ヒカル(Hikaru)さんは2007年4月に兵庫県立神埼高等学校・普通科へ入学し2010年3月に卒業しています。
学校名 | 兵庫県立神埼高等学校 |
---|---|
学科・コース | 普通科 |
偏差値 | 42 |
所在地 | 〒679-2415 兵庫県神崎郡神河町福本488-1 |
公式HP | https://dmzcms.hyogo-c.ed.jp/kanzaki-hs/htdocs/index.php?page_id=0 |
高校時代のヒカルさんのプリクラ画像はこちら。

金髪で眉毛がない感じが、いわゆる「ヤンキー」のように見えますね(^^;)
現在は非公開となっていますが、ヒカルさんの公式ブログには高校時代はヤンキーだったことが伺える内容があるようです。
ヒカルさんの同級生で東京大学に進学した知人の祖父とヒカルさんの祖父とのエピソードによれば、
(祖父の知人が東大の孫を自慢気に話してきた知人)に対して、
“うちの孫、あんたの孫を昔あごで使っとったよ”
引用元:【ヒカル公式ブログ】
更に、喧嘩を売られた際のエピソードでは以下のように語っています。
中学、高校時代、俺に喧嘩を売ったやつは…
ことごとく自信をつけて帰っていったよ?
— ただのカリスマ (@tadanokarisuma) June 29, 2017
引用:ツイッター
口が立つ頭脳派であるヒカルさんは、高校時代は人を力ではなく、言葉で論破するのが得意だったそうです。
そして、当時から現在のような派手で活発な性格であったことから友人も多く、高校時代のヒカルはかなり女子からモテモテだったようです。
なんと他校の女子生徒の間でもヒカルの噂が流れたほどだそうで、ヒカルさん曰く「落とせない女はいなかった」のだとか。
当時から人気者であることが伺えますね(^^)
しかし、当時は¨頑張る人¨をバカにする傾向があったというヒカルさん。

文化祭や体育祭で頑張る人は、バカだと思っていたそうで本人曰く「何もしない」学生時代を送っていたそうです。
そんなある日、ヒカルさんが我に返る出来事が起こります。

同じ年であるプロゴルファーの石川遼選手がゴルフ大会で優勝したことをテレビで知ったヒカルさん。
- 「別次元の人に見えた」
- 「カッコいい」
- 「自分が遊び呆けている時間に、石川遼選手はどれほどの時間ゴルフに費やして努力してきたんだ・・」
と感じ、「自分の現状を変えなくてはいけない」と思い立ったそうです。
以下の動画では、「当時の自分があるから、今の自分があること」も語っています。
しかし、先生に相談するも卒業後の進路は「工場に行く」「ニートになる」の2選択だったそうです。

ヒカルさんは、「さすがに家族を悲しませたくない」と思い、仕方なく工業へ就職する道を選びます。
ヒカルさんは、高校時代に後にヒカルのYouTubeゲームチャンネル「Hikaru Games」のりょうまと出会っています。
高校卒業後:地元の工場に就職するも半年で退職
高校卒業後は、一旦地元の工場に勤めていたヒカルさん。
工場の中では、仕事が早く話せるという理由からも、仕事が出来るとして可愛がられていたそうです。
しかし、
- 給料が安い
- 年功序列も厳しい
- 自分の意見を全く聞いてもらえない環境
- 退職して行った社員への批判&パワハラ
という性に合わない環境で半年もしない間に退職されています。
師匠との運命的な出会い
工場を退職したヒカルさんは、しばらくニートの生活を送っていたそうです。
そんな中、ヒカルは現在でも唯一尊敬し「師匠」と呼んでいる人物と運命の出会いを果たすこととなります。
その人物とは、りょうまの実の兄である井川拓哉氏。ヒカルが所属するVAZで顧問を務めていた人物です。(※現在は辞任)
ヒカルさんは、井川さんに唐突に「月にいくら稼ぎたいの?」と聞かれ、「100万円」と答えたのだそうです。
すると井川さんからの以下のような話に夢中になったそうです。
「働き方には4つの方法がある
- 労働者
- 自営業者
- 経営者
- 資本家
君が100万円稼ぎたいなら今まで労働者だった時給を計算してごらん。今までと同じ働き方では到底100万円には手が届かないんだよ。
(You Tubeの内容を用役しています)
ヒカルさんは元の職場である工場での時給を計算してみたところ、月に100万円の稼ぐには、
- 労働者時間 : 休みなく月30日8時間勤務
- 時給 : 4〜5000円
という無理な条件が必要なこと知らされます。
当たり前のことですが当時のヒカルさんは、衝撃を受けこれから働く選択肢で「労働者」というカテゴリーは消したそうです。
まずは、井川さんを見習いながら、ネットビジネスの仕事に熱中し始めたヒカルさん。
その中でもヤフオクビジネスではかなりの良い結果を残せたそうで、井川氏から営業職に就くことを勧められ、更にそこでもかなりの業績を残すという快挙を成し遂げることなりました。
月収100万円を稼げるようになったヒカルさんは井川氏の制止を振り切って独立し、自営業への道へと突き進むことを決心します。
独立後:情報商材ビジネスにはまる

独立後、月収100万を獲得できるレベルまでに成長したヒカルさんでしたが、
1200万円の借金を作ることとなってしまいます。
この借金は、
- 東日本原発事故に関するビジネスで悪質な詐欺被害にあった為
- FXで大損した為
などいくつかの説があるようですが、多額の借金を抱えることになってしまったようです。
そんな状況にもめげずに、次にヒカルさんが目をつけたのが「アフィリエイトビジネス」です。
しかし、最初の頃はなかなか軌道に乗ることがなく最初の2ヶ月で稼げた収入は約2,000円。
自分の選択肢に自信を持っていたヒカルさんはそれでも諦めず無休で働き続けました。
その結果半年後には、
月収1,000円→200万円
の達成に成功しました。
そしてネットでのビジネスを開始してわずか8ヶ月後には、借金額と同額の1,200万円を達成。
当時21歳で「カリスマ」と認めざるを得ない才能を開花させていきます。
当時ヒカルさんが行っていたビジネスは以下のような情報商材の販売です。
当時のヒカルさんは、企画力・ボキャブラリーに長けていたため、他の情報商材よりもかなりの注目を浴びていました。
情報商材を販売し、異例の大ヒットを記録したヒカルさんは、You Tuberとして乗り出していくこととなります。
You Tuberとしてスタート
2013年6月1日、ヒカルさんはチャンネル「Hikaru Games」を開設。
「Hikaru Games」の初動画はこちら↓
当時は、主に「ソーシャルゲーム実況」を行うYou Tube動画投稿されていました。
その頃から現在の豪快の金遣いを動画のウリとしていたようで、ゲームチャンネルは多くの登録者を獲得することになります。
広告収入で生計を建てる素晴らしさを知り、2016年3月18日、チャンネル「ヒカル(Hikaru)」を開設。
You Tubeヒカル(Hikaru)の初登場はそちら↓
当初は、
- 「自販機を空にする」
- 「スクラッチを1万円分買う」
- 「ミスド全種類制覇」
など、当時は現在のヒカルよりもお金の使い方が豪快さより「プチ贅沢動画」が主流だったようですね(^^)
しかし、その視聴者に寄り添った動画で一気に登録者を増やすこととなりました。
10月16日 : チャンネル登録者数10万人達成
↓
12月20日 : チャンネル登録者数100万人達成
↓
2017年4月3日 : 「兵庫県の春祭りでテキ屋のくじを大量に買う動画」を公開し一躍ヒカルさんの名前が知れ渡る事態に。
その後、ヒカルさんは2016年に、同じYouTuberでもあるラファエルさん、禁断ボーイズさんとYotuberサポート事務所「NextStage」を立ち上げています。
これからNextStageというグループ名でYouTube活動していきます。
ヒカル
まえっさん
名人
ロケマサこの4人をよろしくお願いします! pic.twitter.com/KsYT2Axs6c
— ヒカル【NextStage】 (@kinnpatuhikaru) February 3, 2020
順調に活躍されていたヒカルさんですが、「VALU騒動」を機に一時YouTuberをしての活動を休止を余儀なくされています。
その間You Tubeのフォロワー数が激減。
信用が一番であるYou Tuberとしての信頼がガタ落ちするなど致命的な期間を経ています。
「VALU騒動」での一時休止復活はこちらでもまとめています↓

挫折→成功を学んで伝えたいこと
当初2000円のインターネットビジネスから、総額40臆円越えのYouTuberとして活躍しているヒカルさん。
ヒカルさんは、これまで歩んできた人生において学んだことを以下のようにに語っています。

- 「¨自分のやりたいこと¨¨自分の夢¨叶うかどうかは別として口に出して言うこと」
- 「大きな夢を持てば持つほど、家族や友達など周囲の人にはバカにされるけど、バカにされることに意味がある」
- 「一歩を踏み出さないとい2歩目はない」
ヒカルさんは、これまで”叶えたい夢”を口にして馬鹿にされても「自分は絶対に出来る」と心で唱えて有言実行されてきたといいます。
「もう日本一をとるって言葉はね、言わなくてもいいと思うんです。言ったところでそんなん無理だって言われるだけなんで。それでも言っときます。どうせとるんで。とった時に言いたいんで。有言実行やったやろって」
引用:Real Sound
ヒカルさんの教えを学んで、是非参考にしてみたいですね。

