2020年7月18日に急逝された三浦春馬さん。
その後葬儀は、親族と限られた関係者との間で行われたことが報道されています。
通常葬儀の跡は、納骨されますが、三浦春馬さんの遺骨は現在どこにあるのでしょうか?
三浦春馬さんの家庭は幼い頃に両親が離婚しており複雑な家庭環境だったと言われています。
そんな複雑な家族関係だったことから、SNS上では、
- 実父の三浦家に入るのか?
- 母親の墓に入るのか?
- 分骨・散骨するのか?
など気になる声が挙がっています。
納骨が終わっているのであればファンもお参りに行きたいですよね。
今回の記事では、三浦春馬さんの墓の場所について、三浦春馬さんの複数な家族関係も踏まえて見ていきたいと思います。
目次
三浦春馬の実家の場所は?
三浦春馬さんの実家は茨城県土浦市です。
東京から62キロ程で車で行くと片道1時間の距離です。(常磐自動車道)
三浦春馬さんは、18歳時に堀越高校へ進学する為に東京へ上京しています。
その後は、両親が離婚したことから地元茨城県の自宅には誰も住んでいないようです。
三浦春馬の家族関係が複雑
三浦春馬さんの両親は、三浦春馬さんが幼い時に離婚し、その後家族関係は複雑だったと言われています。
そんな家庭事情を知ると遺骨の行方も気になりますね。
三浦春馬は、幼少期に茨城で父親・母親・祖母・三浦春馬さんの4人暮らしでした。
三浦さん一家は約20年前に現地に引っ越して三浦さんと母親、継父、祖母の4人暮らしだった
引用:スポニチ
三浦春馬さんの母親と実父とで暮らしていた頃の仕事は、
- 実父 : 建築関係の仕事
- 母親 : ゴルフ場
で働いていたようです。
当時幼かった三浦春馬さんでしたが、両親の仕事の帰りは毎日深夜0時を過ぎることもあり、母親が用意したコンビニ弁当などで食を繋いでいたそうです。
当時の三浦春馬さんの家庭は、両親が喧嘩をすると、母親が裸足で近所に助けを求める姿が確認されているようです。
その後、三浦春馬さんが当時3歳・小学1年生の時に、逃げるように母親と家を出たそうです。
実父は夜逃げ同然で家を出ていき、半ば一家離散という状態で離婚が成立。
その頃母親は、茨城県内の風俗店で働き生計を立てていたようです。
三浦さんが中学校に上がる頃に、勤務先のホストの男性と再婚しています。
幼い頃に三浦さんの両親は離婚している。三浦さんが小学1年生の時、母親に連れられ家を出た。高学年になると母親は再婚。新しい父親は地元ホストクラブの経営者の息子で、その店で働いていたホストだった。
引用:AERA dot.
この際に三浦春馬さんは継父の姓でもある「笹本」に名前が変わっており、実際に中学校の三浦春馬さんの卒業アルバムには「笹本春馬」となっています。
母親は再婚後、茨城県の土浦でスナックや「キッチンバーsasa」という飲食店を経営していました。
地元週刊誌にも、「三浦春馬さんの母親のお店」として紹介されたこともあります。
3年前の2017年頃に、継父とは離婚しお店をたたんで閉まったようで現在は閉店しています。
両親は茨城県土浦駅周辺で居酒屋や食堂を営んでいたというが、現在は閉店。
引用:デイリー新潮
三浦春馬さんの継父と、母親の写真はこちら。
- 父親 : 笹本賢一 54歳
- 母親 : 笹本真弓 57歳
三浦春馬さんは、2009年「ボクらの時代」出演時のインタビューで父は43歳、母は46歳と話されています。
2020年現在では、父親54歳、母親 57歳ということになりますね。
この後は継父親との離婚しています。
そのため三浦春馬さんは27歳の時に「笹本」から「三浦」に姓を戻しています。
母親との関係
三浦春馬さんの死去後、母親との関係について報道をまとめると、亡くなる数年前から絶縁状態でかなり不仲だった可能性が高いと思われます。
家庭環境が少し複雑だったとはいえ、三浦春馬さんと母親は幼いときから二人三脚でずっと一緒で仲は、当初は良好な関係だったことが分かっています。
お互いを「春ちゃん」「真弓ちゃん」と呼び合うほど良好だったことで知られており、他にもこのようなエピソードもあります。
- 一人っ子だった息子を心配し、「色んな友達と触れ合うキッカケになれば良い」と劇団のスクールに通わせた。
- 浦春馬さんが落ち込んでいる時には「大丈夫だよ」と静かに支えてくれる母親だった
- 「ずっと素直で優しい子でいてね」と母親から言われ、三浦春馬さんはそれをずっと守りたいと思った
- 反抗期はなかった
- 仕事がオフのときは、伊豆へスキューバダイビングへ行く程仲が良かった
- 三浦春馬さんが東京へ上京する際には料理のレシピを持たせた
「ずっと『はるちゃん』と呼ばれています(苦笑)。この前『僕って反抗期とかなかったよね?』と聞いてみたら、『なかったねぇ』」(「婦人公論」中央公論新社)引用:Business Jornal
三浦春馬さんと母親の関係は仲の良い親子というようにも感じられます。
しかし、三浦春馬さんと母親の関係は今から3~4年前に悪化していったといいます。
近年、母子関係は悪化していったという。 「3、4年ほど前かな。春馬がぽつりと“オレ、お母さんと絶縁した。もう何年も連絡とってないよ”って漏らしたことがあってね」
引用:yahoo!ニュース
ここ数年の間には下記のような行動を取り、母親との関係は一切断絶していたそうです。
- 携帯番号を変えて母親には新しい番号を教えたなかった
- LINEもやめた
- 本名を継父の苗字である「笹本」から実父の苗字「三浦」に改名する
三浦さんはこの世を去る1か月前、あるものを手放していた。長年使ってきた、継父の姓であり、本名として使っていた姓を手放し、生まれたときの名前である“三浦春馬”に戻していた。
引用:NEWSポストセブン
母親は三浦春馬さんと連絡をとろうと知り合いを通じて探ってきたりしていたようです。
不仲になった原因は明確にはされていませんが、一部の報道では、
- 転職を反対された
- 母親のお金の無心
- マルチ商法まがいな宗教にハマっていた
という要因があったとも言われています。
継父との関係
三浦春馬さんは継父との関係もかなり不仲だった可能性が高いと思われます。
報道ではこのような情報が挙がっています。
「“親子の縁を切るなんて、大抵はお金が理由じゃないの”って春馬に水を向けてみたら、彼は“そうなんだよ”ってぽつりと呟いて……。母親と離婚した継父に“大丈夫?”と気に掛ける電話をしたという報道を目にしましたが、後で作られた美談だと思いますよ。当時の春馬は、継父に対しても“アイツの顔も見たくない”と言っていたからね。離婚した直後の7、8年前、“速攻で役所に行き、継父の籍から抜いて貰った”とも話していた」
引用:デイリー新潮
内容をまとめるとこのようになります。
- 継父に対して「あいつの顔もみたくない」と言っていた
- 母親と継父が離婚した直後に速攻で籍を抜いた
またサーフィンが趣味だった三浦春馬さんでしたが、継父と母親が住む実家に置いていたサーフィンの道具を取りに家の敷居を跨ぐことさえ嫌だったと伝えられています。
実家にウェットスーツとか道具一式や私物を置きっ放しにしていた。しかし、実母と継父に憎悪を抱く彼は、二度と家の敷居を跨がないと決意していた。それで趣味の道具を全てイチから買い直したくらい。年末に帰省しても、大晦日や正月はいつも知り合いや友人の家に泊まっていましたから。敢えて自分から、天涯孤独の道を選んでしまったんだなと思いました」
引用:デイリー新潮
一部報道では継父との関係は良好だったことが書かれていましたが、継父に僧悪を抱いていた様子も報道されています。
三浦春馬さんの継父と母親は、生活が苦しくなると、三浦春馬さんを通さず事務所にまとまったお金を無心したり、ギャラを上乗せするようマネージャーを呼び出して、社長への口利きを頼んだこともあったそうです。
それを知った春馬さんは激怒し親子は絶縁したという話が報道されています。
継父との関係も「お金」によって不仲になってしまったのでしょうか。。
実父との関係
実母と継父との関係は良好ではなかった可能性が高い三浦春馬さん。
では、幼い頃に離れた実父との関係はどうだったのでしょうか。
三浦春馬さんは今から2年ほど前の2018年に、生き別れた実父と約20年ぶりの再会を果たしています。
親族女性の話によると三浦春馬さんと実父との関係を以下のように語られています。
「父親は、春馬ちゃんの作品をほとんど録画して保存していました。しかし2年くらい前に、心臓を悪くして手術をすることになったんです。春馬ちゃんとはずっと会っていなかったんですけど、『最後になるかもしれないから春馬に会いたい』と言ったんです。私から春馬ちゃんの母親にお願いすると、仕事で忙しいにも関わらず、春馬ちゃんが病院に見舞いに来てくれました。それから手術もなんとか上手くいって、それを機に父親と春馬ちゃんは食事に行くことが増えたそうです。春馬ちゃんにとっても父親にとっても、いい時間だったんじゃないかな」(前出・父方の親族女性)
引用:文春オンライン
この内容から父親は、
- 20年ぶりの親子の対面
- 三浦春馬さんの作品をほとんど録画して保存していた
- 食事に行くほどの仲になった
ということが分かっています。
この出来事について、三浦春馬さんが残した遺書にもこのように書かれていたと報道されています。
- 「自分は死のうと思っていた。でも、なぜか会ってみようと思った」
- 「母と離婚した理由を教えてくれた」
- 「実父との再会が人生を見つめ直し、自分と向き合うきっかけを教えてくれた」
引用: 日刊ゲンダイ
当初の報道では、上記のように実父と良好な関係が伺えた三浦春馬さん。
しかし、最近の報道では三浦春馬さんと実父との直近の関係については以下の様に報道されています。
この記事によると、三浦春馬さんの自殺の原因は「実母、義父、実父とのカネをめぐる確執に悩んだため」と結論づけています。
三浦春馬|お墓の場所はどこ?墓参りは行ける?遺骨は母・父の墓に分骨が濃厚
三浦春馬さんの儀式は、既に亡くなられた2日後の2020年7月20日に「密葬」という形で執り行われ火葬も済んでいるようです。
その後は通常は納骨となりますが、三浦春馬さんの遺骨はどこに収められたのでしょうか?
三浦春馬さんの遺骨については、現在のところ公式な公表がなく納骨されたお墓は不明のようです。
しかし、親族やゆかりのある方と同じお墓に納骨されるのが一般的なことから、下記の親族のお墓へと納骨されることが考えられます。
- 実父
- 母親
- 継父
ネット上では、このような意見も上がっています。
三浦春馬さん。
どうか。三浦家のお墓に…。
彼が亡くなる直前に自分で名前変更した理由を考えたら。
そうしてあげてほしい。
— 夢影 (@l3jbaWCRwOYDeUi) July 29, 2020
https://twitter.com/G8D02/status/1290948200824573956?s=19
三浦春馬さんは亡くなる直前に、身の回りを整理するような行動をされていました。
ほかにも発売中の「女性セブン」は、三浦さんが亡くなる1か月前に、継父の姓で長年本名として使っていた姓を手放し、生まれた時の名前である「三浦春馬」に戻していたと報じている。LINE、インスタ、そして名前――。人知れず断捨離していたのか…。
引用:東スポ
- LINEを削除
- インスタグラムの削除
- 長年使っていた継父の「笹本」→実父の「三浦」に変更
LINEの削除に関しては、母親と絶縁した為と言われています。
長年使っていた継父の「笹本」姓を実父の「三浦」に変更しているのは、死後、お墓のことも考えてのことだったのでしょうか。
そのことから可能性としては、父親の「三浦家」の墓に入る可能性は高いのかもしれませんね。
母親や親族との話し合いの上、決めるのだろうと思いますが、分骨する可能性もあるのかもしれませんね。
仮に納骨が済んでないとすると、いつ納骨されるのでしょうか?
一般的な納骨のタイミングとしては、下記があるようです。
- 四十九日法要・・・亡くなった人の命日から数えて49日目に行う法要
- 百箇日法要・・・百箇日法要とは、亡くなった人の命日から数えて100日目に行う法要
- 一周忌・・・故人が亡くなってから満一年の命日に行う法要
- 三周忌・・・故人が亡くなってから満二年の命日におこなう法要(三年後ではなく二年後ですので注意が必要)
三浦春馬さんの次の供養は「四十九日法要」です。
このタイミングで、遺骨に関する情報も発表があれば良いですね。
まとめ
今回の記事では、三浦春馬さんの墓の場所について調査してみました。
三浦春馬さんのお墓の場所についてまだ正式な発表がありません。
仮に納骨がまだだとしても家族関係が複雑だったことから遺骨をどこに納めるか話し合いをされているのかもしれません。
可能性としては、
- 可能性としては、「三浦家」の墓
- 母親側と分骨する
という方法が濃厚ではないかと思います。
亡くなる直前に死後のことを考え“姓”まで変えてた可能性もある三浦春馬さん。
天国で安らかに過ごしてほしいですね。