今回は三浦春馬さんの生い立ちについて取り上げたいと思います。
一人っ子として誕生した三浦春馬さん。
調べてみると、三浦春馬さんの母親は2度の離婚をされており父親と呼べる存在が2人もいたようです。
複雑な家庭で育った春馬さんですが、毒親と言われている母親の存在がとても大きかったと言われています。
今回の記事では、三浦春馬の壮絶な生い立ちが泣ける!父との生き別れ・切り離せない母親と言われた母というタイトルで三浦春馬さんの生い立ちを振り返りたいと思います。
目次
三浦春馬のプロフィール
1997年にNHK連続テレビ小説「あぐり」に子役として出演し芸能界デビュー。2007年に公開された映画『恋空』で主演を務め、17歳で「第31回日本アカデミー賞・新人俳優賞」を受賞したことがブレイクポイントになり、その後は急激に活躍の場を広げていきました。
三浦春馬さんの母親は結婚・離婚を繰り返すような方で2度再婚し離婚されており複雑な家庭環境だったようです。
「三浦春馬」というのは、本名です。
名付け親は三浦春馬さんの実父側の親族親族女性です。
「午年で春に生まれたから、草原を馬が力強く駆けていくような子になって欲しい」という思いで春馬に決まったのだそうです。
三浦春馬の壮絶な生い立ちが泣ける!父との生き別れ・切り離せない母親
小学生の時両親が離婚
三浦春馬さんは、地元茨城県で生まれました。
小さい頃は女の子に間違われるほど可愛いかったそうです。
三浦春馬さんは、地元茨城県で生まれ幼少期は茨城で父親・母親・祖母・三浦春馬さんの4人暮らしでした。
三浦さん一家は約20年前に現地に引っ越して三浦さんと母親、継父、祖母の4人暮らしだった
引用:スポニチ
父親と母親について分かっている情報を上げていきます。
- 父親 : 笹本賢一 54歳
- 母親 : 笹本真弓 57歳
三浦春馬さんは、2009年「ボクらの時代」出演時のインタビューで父は43歳、母は46歳と話されています。
2020年現在では、父親54歳、母親 57歳ということになりますね。
三浦春馬さんの父親は、実は本当の父親ではありません。
三浦春馬さんの小学校頃に母親が1度目の離婚をしています。
茨城の地元でスナックを経営していた両親は、三浦さんが小学生の頃に離婚。
出典:文春オンライン
母親は、かつて茨城県内の風俗店に勤務しており、2017年に三浦さんが中学校に上がるころにホストの男性と後に再婚しています。
三浦さんのお母さんは彼が高校にあがる前に再婚したので、彼も姓が変わっています。
この頃、既に『三浦春馬』として芸能界デビューしていたので、芸名までは変えませんでした。
しかし、今から数年前に離婚されているようで、同時に三浦さんも姓を戻しています。
出典:NEWSポストセブン
その男性の親族が持つ家に3人で暮らすようになります。
話を整理すると以下のようになります。
(実父)三浦春馬さんが小学生の頃離婚→母親が春馬さんを引き取る
(継父)三浦春馬さんが中学生の頃再婚(母2度目の結婚)→2017年前後に2度目の離婚
三浦姓は父親側の姓なんです。
出典:文春オンライン
母親、二度目の再婚の相手とも既に離婚しており三浦春馬さんは実父の姓を名乗って芸能活動しています。
幼少期 : 4歳で天才子役!活発な少年時代
三浦春馬さんは、地元茨城県の土浦市立真鍋小学校に通っていました。
サッカー部に所属し2年生から4年生までサッカーをしており、自宅の前でサッカーボールを蹴って走り回るような無邪気な少年だったそうです。
三浦春馬さんは、4歳で子役として芸能界デビューをしています。
「森の学校」で三浦春馬さんは監督から天才子役として抜擢されています。
「彼の出身地の土浦(茨城県)に知り合いがおりまして、『天才的な子役がいる』と以前から聞いていました。紹介を受けて実際に会ってみると、本当に魅力的な子でした。(中略)接していてもピュアで繊細で、あんな子はもういないんじゃないかというくらい素晴らしかった。
撮影のずっと前から私は『春馬くんを主役に』と決めていて、他の子役はオーディションで決めました。監督西垣吉春氏より
引用 文春オンライン
三浦春馬さんが劇団に入るきっかけは母親でした。
一人っ子の三浦春馬さんを心配した母親が「友達がたくさんできるように」と地元の児童劇団「アクターズスタジオつくば校」に通せていたのだそうです。
劇団に通っていた思い出はとても楽しかったと三浦春馬さんは語っています。
そのころは純粋に楽しかった。土日だったか、日曜日だけだったのか忘れましたが、レッスンや仕事のある週末はいつも楽しかったことを覚えています。
当時の三浦春馬さんについては、父方の親族女性がこのように語っています。
「小さいときは、やんちゃな子だった」と懐かしむのは前出の父方の親族女性だ。
「近所の小学校でブランコに乗ったり、従妹たちとかけっこをしたりして遊んでいました。家でも走り回ったりして、元気で明るい子でした。私もあの子が来る日は楽しみで、アイスクリームを用意して待っていました。
子役の仕事も楽しんでやっていたようで、『僕、オーディション受けたんだよ。たくさん人がいたけど、僕に役が決まったんだ』って喜んで話してくれたこともありました。
引用 : 文集オンライン
三浦春馬さんは、実父に『パパ、パパ』と甘えてひっついて歩いたり、カメラを向けると、すぐに笑顔でポーズしてくれる可愛い子供だったそうです。
家では犬をたくさん飼っていて、三浦春馬さんは犬が大好きな子供でした。
【実父と三浦春馬さん】、
中学生までは学業と並行して役者の仕事をしていました。
中学時代 : 繊細な性格の青年だった
三浦春馬さんは、土浦市立第二中学校に通っていました。
役者になっていなかったらサッカー選手になりたかったとい程中学時代もサッカー少年だったようです。
三浦春馬くんとサッカー pic.twitter.com/PijdiuqY7b
— きらきらさん✨ (@kirakirasaaan) January 29, 2016
2004年中学2年生からは、アクターズで「Brash Brats」というグループを結成し活動していました。
Brash Brats の春馬くんめっちゃかっこいい(^O^)♥ pic.twitter.com/uWGFCdJg
— チョモコ ♪~ (@harumaaa0912) January 22, 2012
Miura and two other students at Tsukuba were formed into boyband Brash Brats. -c- pic.twitter.com/jAmbopRw
— Jpop Lovers Fanbase (@Jpoplovers) April 5, 2012
2005年には活動休止しています。
ゆずのファンだったこともあり、2008年には「うまくいえない」で共演しています。
前述でも述べましたが、三浦春馬さんが中学生に上がる頃、母親は継父と再婚しています。
そのため中学卒業まで母親と継父の3人で茨城で過ごしています。
両親は茨城県土浦駅周辺で居酒屋や食堂を営んでいましたが、現在は閉店しています。
今から3年前の2017年頃に母親は、継父とも離婚。
母親は茨城の家を出て行き、その後父親も引っ越しています。
母親の離婚を整理すると以下のようになります。
(実父)三浦春馬さんが小学生の頃離婚→母親が春馬さんを引き取る
(継父)三浦春馬さんが中学生の頃再婚(母2度目の結婚)→2017年前後に2度目の離婚
2度の離婚をされた三浦春馬さんの母親ですが、性が変わるときには、「母親が可愛そうだから。」と同じ性を名乗っていたとのことです。
三浦春馬さんの優しい性格がわかりますね。
母親が別れたあとも三浦春馬さんと継父とは良好な関係を築いていたといいます。
後に、三浦春馬さんは住居用にと都内の高級マンションを母親にプレゼントしていますが母親はそのマンションに暮らしていたものだと考えられます。
当時の三浦春馬さんについて、継父の知人は「繊細で寡黙な子だった」と話されています。
私が春馬と最後に顔を合わせたのは、ちょうど2007年の映画「恋空」に出演した前後の正月だったと思います。その時は「お久しぶりです」って感じで、そんな深い話はしなかった。「次はどんな映画やるの?」なんて聞いたりもしましたが自分からは全然喋らない子だから。
テレビではあんなにハキハキと喋っていますけど、実際は全然違うんです。何か喋るときもお母さんをチラチラ見て、お伺いを立てるようにしていた。繊細で寡黙な子だったんです。
引用 : 文春オンライン
高校時代 ブレイク俳優に
三浦春馬さんは、学業と俳優業を両立させるために高校は東京の堀越高等学校に通っています。
母親には反対されたそうですが、当時「僕にはこれしかない」と思っていた三浦春馬さんは、親元を離れ高校の寮に暮らし始めます。
母親には反対されました。僕は一人っ子ですし「行かないで、茨城からでも東京は通えるじゃない、今までもそうしてきたじゃない」という気持ちが母親にはあったのです。でも僕はそれまで電車で通っていて、学業と仕事を両立するのは無理だと思ったんです。
親元を離れるという選択をしたことは、その時期僕にはこれしかない、と思ったから。一人で頑張っていきたいと思った。そう決めて堀越に入学しました。
上京してからは、忙し三浦春馬さんの身の世話をしに母親は毎週寮へ通ったといいます。
三浦春馬さんは、仕事が忙しく体育祭や文化祭などは一切出れなかったそうです。
仕事面では2006年に映画初主演の「キャッチ ア ウェーブ」、人気ドラマとなった「14歳の母」に出演しています。
「キャッチ ア ウェーブ」でサーフィンの魅力を知り、現在でも友人の三浦春馬さんとサーフィンを楽しむ様子もSNS上では確認できます。この頃には、俳優としても注目をされていきます。
- 2007年「恋空」
- ドラマ「ごくせん」
- ドラマ「ブラッディマンディ」 : 連続ドラマ初出演
「恋空」では日本アカデミー賞を受賞し、その後俳優として急激に活躍の場を広げていきくことになります。
切り離せない母親との関係
三浦春馬さんの母親は奔放な人で毒親だったという情報があります。
三浦さんが俳優として成功を収めてからは、彼が母親を金銭的に支えている部分があったようです。
順風満帆に俳優としての活躍していたと思われる三浦さんですが、実は19歳の時に引退を考えた時期もありました。
当時の三浦春馬さんは、「あまりの忙しさに自分の許容範囲を超えてしまった」と話されており、台本が覚えられないくらいに精神的に追い込まれていたそうです。
当時の三浦春馬さんは「サムライ・ハイスクール」、「ブラッディ・マンデイSeason2」と2クール連続で連ドラ主演し多忙な時期でした。
三浦春馬さんは、野菜が好きだったことから地元茨木に戻り農業をしようと考えていました。
「芸能界を辞めたい」と母親に相談した時、熱心に引き留められて思い留まったという話があります。
生前三浦さんは当時のことについて「とにかく逃げ出したかった」と振り返っており「母親に説得されて思いとどまった」と明かしている。親しい友人も「当時お母さんは、役者をやめるべきではない理由を具体的に挙げながら強く引き留めたと聞いています」と話しており、三浦さんにとって母親の存在がいかに大きかったかを物語っている。
引用:スポニチ
三浦春馬さんが、過去に出演した「さんまのまんま」では、相談を打ち明けたときに「家のローンどうするのよ」と言われていた事と話されています。
明石家さんま:辞めたいと思ったことあるでしょ。
三浦春馬:去年思いました。辞めたいなって。
明石家さんま:忙しくなってからか。
三浦春馬:精神的にも肉体的にもちょっとなっちゃって。
明石家さんま:親に辞めると言ったの?
三浦春馬:親にはちょっと言っちゃって。「辞めるかなぁ」と。
明石家さんま:親はなんていったの?辞めるかなぁと言ったら。
三浦春馬:・・・
明石家さんま:(親の代わりとしての発言)この家はどうすんだ・・・と。
三浦春馬:まぁでもそういうニュアンスでした。
「役者を辞めたい」と親に伝えた後、親からの反応を聞かれた三浦春馬さんは思わず言葉を失ってしまいます。
明確に、借金やローンという言葉があるわけではないのですが、これを見た視聴者からは、「若いのに母親のローンを背負う稼ぎ頭」になっているのではないか?という推測があったようです。
芸能関係者も三浦さんの母についてこんな証言をしています。
「三浦さんは、以前から家族との関係に悩んでいました。母からは度々金銭の無心をされ、芸能界の仕事に嫌気がさしていた。役者を辞めたいと漏らし、農業をやりたいと言ったこともあるけど、その度に母親から反対されるため、最近は断絶状態だったと聞いています」
引用:デイリー新潮
三浦春馬さんの母親は、個人事務所にも関わっていたようです。
更に、母親は三浦春馬さんの成功を願って「とある団体の宗教」に没頭していたようです。
「決意を撤回する上で、母親の存在があったようです。母親は息子が俳優として成功することを願っていましたから。そのためにスピリチュアルな世界に傾倒した時期もあったそうです」
引用 : exciteニュース
三浦春馬さんにも、「不思議なバケツ」といった運気があがる商品を送ってくるほどだったとか。
(「メレンゲの気持ち」 : 自宅内公開した際に母親からの不思議なバケツを公開した様子)
自分が母親を支えたいと考える一方で、金銭面や、スピリチュアルな世界に傾倒する母親との関係がどこか負担になっていたのかもしれませんね。
20年ぶりの実父との再会
三浦春馬さんは、幼少期の頃に家を出ていった実父に対しても優しかったそうです。
実は2年ほど前にその生き別れた実父と、約20年ぶりに病室で再会を果たしています。
実父が心臓手術を受ける前に「最後になるかもしれないから、春馬に会っておきたい。」と対面を望み、それを聞いた三浦春馬さんはすぐに駆け付けたそうです。
その後、実父の手術は成功し、それからは定期的に食事をする関係になったといいます。
自ら死を選んだ苦悩
2020年7月18日に三浦春馬さんが自殺したという報道で世間は驚きと深い悲しみに包まれました。
自宅にあった手帳には、普段の仕事への想いや役者論などが綴られており、その中に『死にたい』という主旨の記述があったそうです。
4年ほど前の2016年頃にも、三浦さんが所属事務所に“辞めたい”と漏らしていたことがあって、その頃から飲酒量が増えていったそうです。
三浦春馬さんは俳優としての情熱も熱く、2018年に出演した『こんな夜更けにバナナかよ』取材の際に、以下のようにコメントしています。
「今は本当に正直に生きています。僕は思ったことをわりと抱え込んでしまうタイプだけど、何も溜め込むことなく、すごく健全に、いい仕事、いい生活ができている。これから先も溜め込まなくていい仕事、溜め込まなくていい人生を送れるような仲間やパートナーと一緒にいられたらいいなと思います」
華やかな世界で活躍する三浦さんは、役者としての悩みや、母親との関係などに悩まされていたそうですが、そうした〝気苦労〟を一切見せていません。
プライベートでも、幼少期から気苦労が耐えなかった三浦春馬さん。
実父と行き別れ金銭面でも母親を支えていたことからも、「家族がバラバラにならないよう、全方位に気を使っていたのだろう。」というコメントもありました。
三浦春馬さんの優しすぎる性格が垣間見えますね。
まとめ
今回の記事では、三浦春馬さんの生い立ちを振り返りました。
誰にも気苦労を見せず、常に爽やかな笑顔でいた三浦春馬の苦悩は図りしれません。
役者として多くの人に感動を与えてくれた三浦春馬さん。
安らかに眠ってほしいです。