天真爛漫で、不思議な日本語を話す姿が面白く、お茶の間に笑いを届けてくれている滝沢カレンさん。
彼女の生い立ちを調べてみると、幼少期はいじめにあったり、父親とは一度もあう事なく生き別れしていたり、仲良が良かった母親とは死別したりと壮絶な人生を送ってきたようです。
今回の記事では、滝沢カレンさんの生い立ちとともに父親・母親・祖母・祖父など家族についても触れていきたいと思います。
目次
滝沢カレンのプロフィール
滝沢カレンさんは、渋谷でスカウトされモデルとなり2009年映画『ROOKIES-卒業-』に購買部マドンナ役で出演し女優としてもデビュー。
その後も、『JJ』の専属モデルや、バラエティの出演するようになり現在に至ります。
滝沢カレンの家族構成
滝沢カレンさんの主な家族構成はこちらです。
父親 :
- ウクライナ人。
- 現在はどこにいるのか不明。情報が少ないが、滝沢カレンさんは一度も会ったことはない。
母親 :
- 宮澤さゆり(故55歳)
- 「Ballet Studio RYABINA バレススタジオ リビーナ」の元バレエ教室オーナー
- 元ロシア語通訳師
祖母 :
- 仕事が忙しい母親に変わって幼少期は滝沢カレンの世話をした。
- 滝沢カレンさんは大のおばあちゃんっ子。
祖父 :
- 祖父が父親代わりだった
- 「目を見れば500円くれるような男だった」と優しい祖父だったことを明かしている。
滝沢カレンさんは、ウクライナ人の父親と日本人母・さゆりさんの間に生まれました。
【生後5ヶ月の滝沢カレンさん】
本名は「宮澤まりな」というようです。
宮澤さゆりさんの友人と思われるコメントに、滝沢カレンさんのことを『まりなちゃん』と呼んでいることから分かります。
滝沢カレンの家族の教育方針
滝沢カレンさんは子供の頃の家族から教育方針をこのように語っています。
「私の家族は、『勉強するなら外で遊べ』という人でした。泥を見て、泥をつけて、草のにおい、花の味を覚えて育て…と。宿題をさせるより、ランドセルを置いて公園に行かせる家族でした。
「勉強しなさい!」というより自然の中で学ぶ経験を大事にされてた、滝澤さんの家族は素敵な教育方針ですね♪
現在の伸び伸びした滝沢カレンさんを見れるのも、こういった教育方針があったからかもしれません。
滝沢カレンの生い立ちが壮絶で泣ける!父と生き別れ・母との死別
「超ハッピー」な父親との生き別れ
2017年「特盛!よしもと」に滝沢カレンさんが出演した際に父親についてこのように語っています。
「超ハッピーな生き別れってヤツです。知りもしない。おなかの中にいる時に生き別れ」
滝沢カレンさんが、母・さゆりさんのお腹の中にいるにも関わらず父親は浮気しそのままウクライナへ帰ってしまったといいます。
その為、母・さゆりさんがシングルマザーとしてカレンさんを必死に育てたそうです。
滝沢カレンさんは、「ハッピーな生き別れ」と表現をしていますが、父親のことを聞かされたときは相当なショックがあった事だろうと思います。
小学校時代のあだ名はダース・ベイダー」
滝沢カレンさんは1999年4月に世田谷区立松原小学校へ入学し、2005年3月に卒業しています。
こちらは、滝沢カレンさん小学5年生のお写真です。
大人っぽく綺麗な顔立ちで、現在のお顔に既にほぼ完成していたようです。
こちらは小学校6年生の時の滝沢カレンさんです。
小6にして、すでに身長が172cmもあったようです。
髪が茶色く、かわかられるやが嫌で髪を濡らして黒く見えるようにして学校に行っていたそうですが、あだ名を「ダース・ベイダー」と付けられてしまいます。
髪の毛も毎回真っ黒に洗って、学校行きましたし。
染められないので髪濡らすと黒くなるじゃないですか、人って。
そしたら今度は「ダース・ベイダー」って言われるようになっちゃって。黒でテカテカでこのくらいの髪の長さだったから。
変なあだ名をつけられたり、「国に帰れ」とからかわれ、いじめの標的にされていたそうです。
電車に乗る際も、子供切符で改札を出ようとすると、駅員さんから「ちょっと!小学生じゃないでしょ!なんでランドセル背負ってんるんだ!」と注意を受けたこともあるそうです。
家に帰ってランドセルを放り投げて泣き喚いたこともあり、『なんで髪が茶色いんだ』『目が茶色いんだ』と悲しみ、毎日泣いていたそうです。
今でこそ綺麗な顔立ちや、スラリとしたスタイルは羨ましがられますが、小学校時代はとても辛い思いされてきたようです。
一方で、習い事は3歳の頃からはじめていたクラシックバレエに週6日、3つの教室を掛け持ちするほど力を入れていました。
体型維持のためか、「肉は年5回しか食べてはいけない」など家族の誕生日となど特別な日にしか食べていなかったそうです。
イジメ続けられた中学校時代
滝沢カレンさんは2005年4月に世田谷区立梅丘中学校へ入学し、2008年3月に卒業しています。
滝沢カレンさんの「通知表は体育が5でそれ以外の平均は1.75」だったそう…。
「勉強は大嫌いでした。
恥ずかしい話なんですけど、小学6年生から高校3年生まで全ての授業をすっ飛ばしてきたので何を習ったか忘れてしまって・・50m走は6秒9と、運動神経は良かった。ただ音楽、社会とかは・・。学んだことは漢字一部でした。」
引用:2017年3月26日放送の『誰だって波瀾爆笑』
学生時代はあまり勉強が好きではなかったそうです。
親友にも「一緒に勉強をやめようよ」と言っていたこともあったそうです。
そんな滝沢カレンさんは、2008年8月、当時14歳で渋谷でスカウトをされ、スターダストプロモーションに入所します。
小さい頃からお洋服が大好きで、その楽しさを伝えるために「モデルになりたい」と芸能界に興味があった滝沢カレンさん。
しかし、当時家族の中では、「芸能界は脱ぐ場所」という印象があったため、当初家族に猛反対されたそうです。
そんなイメージを植え付けられて育ったいか、スカウトマンに声をかけられた際も「私は脱ぎません!」と叫んでしまったのだそうですw
この時から滝沢カレンさんらしいですね♪
家族の反対を背に、滝沢カレンさんの背中を押してくれたのが担任の先生でした。
そして、先生のサポートもあり滝沢カレンさんは、芸能界への道を歩き出します。
芸能界へデビューした高校時代
1999年4月、日出高等学校(2019年より目黒日本大学附属高等学校)芸能コースへ入学します。
滝沢カレンさん16歳の高校1年生の時に「ミスセブンティーン2008」で6238通の応募の中からグランプリを受賞します。
「夢を見ているのかと思って、手をつねったりしました。早く馴染めるように頑張りたい」
これをきっかけに、ファッション雑誌「Seventeen」の専属モデルとして活躍します。
その後も『JJ』の専属モデルや、バラエティの出演をするようになります。
個性的で天真爛漫のキャラクターから人気を得て現在引っ張りだこになるほど現在では、テレビでは活躍する存在となりました。
祖母との絶縁から死別
(左:祖父 中央:滝沢カレン 右:祖母)
滝沢カレンさんの祖母は2014年に亡くなっています。
滝沢カレンによると、礼儀を大切にする厳しい祖母だったようです。
勉強についてはなにも言わないおばあちゃんでした。宅配業者を敬うような、人間として尊敬を忘れない人で。『人間として底辺と思え』と常々説いていました。
そんな祖母を見て育った滝沢カレンさんは、大のおばあちゃんっ子でした。
数々の祖母のエピソードを番組でも語っています。
「ザ・発言Xあの言葉で人生が劇的に動いた!」では、祖母から教わった「生卵サイダー」を「ウチで当たり前のように行っている」と、見た目も味も気に入って風呂上がりに飲んでいることも明かしていました。
また、滝沢カレンさんがまだ幼い頃、仕事の忙しい母の代わりに祖父母が面倒を見てくれたといいます。
毎日イジメられて泣いていた時も、祖母が支えになってくれたのだか。
ある日祖母から「悔しいならやりな返してしまいなさい。」と言われ実践してみたところ見返すことができたというエピソードも語っています。
そんな優しい祖母ですが、芸能界に入る事を猛反対していたそうで、「1円も持たずに家から出て行きなさい!」と言われた滝沢カレンさん。
それでも夢を諦めきれず、中3年の時にデビューをし、祖母とは絶縁状態なってしまいました。
2018年5月に出演した「徹子の部屋」ては、大好きだった祖母の話題で、感極まって涙してる様子も確認できます。
「ちょっと感極まっちゃっいました…。ごめんなさい。おばあちゃんの子供じゃないですけど、血が繋がっていて良かったなと思います」
モデル活動やバラエティーで活躍し始めても、「祖母は仕事に理解を示してくれないまま他界した」と思っていた滝沢カレンさん。
しかし、祖母の遺品を整理していた際にモデルデビューの写真パネルなど滝沢の思い出の品が見つかり、陰ながら祖母が応援してくれていたことがわかっています。
亡くなる直前、病で伏せっていた祖母は「もう口が聞ける状態ではなかったけど、私が声をかけると一粒涙をポロっと流してくれました」と語っています。
「おばあちゃんの家族でよかった。何回生まれ変わってもこの家族がいいっておばあちゃんに伝えたかったです」
と滝沢カレンさんは、祖母へ感謝を拭いきれない様子です。
滝沢カレンさんは、知られざる祖母との別れを乗り越えていたのですね。
最愛の母親との死別
【母・さゆりのプロフィール】
幼い頃にバレエに魅せられ高校を卒業後、親に内緒で働いて留学費用を貯め、語学留学を名目にソ連に渡りました。
毎晩のようにボリショイ劇場のバレエ公演に通い、帰国後はロシア人バレエ講師の通訳や、ロシア人バレエ講師に密着して、ロシアバレエレッスンという本を制作。
Ballet Studio RYABINA バレススタジオ リビーナ」の元バレエ教室オーナーも務めていました。
滝沢カレンさんの母親・さゆりさんは、2018年7月に56歳という若さでガンで亡くなっています。
母・さゆりさんは医者嫌いだったそうで気づいたときには末期のガンだったそうです。
亡くなる直前まで滝沢カレンさんは一緒なマンションで暮らしていたそうですが、母親の死を一切公表せず、伏せていました。
葬儀では喪主を務め、「生まれ変わってもまたママの子供になりたい」と語っていたそうです。
天使爛漫の滝沢カレンさんのイメージを崩さないように、何も触れないまま仕事を続けていた滝沢カレンさん。
母親の死が初めて知られることになったのは、翌年2019年8月です。
インスタグラムの更新が2018年7月4日の後は、3週間後の7月25日になっており、
「ご心配してくれた方も、特にしていない方もまとめて、申し訳ありませんでした。私は離れていた時も今も元気ですのでなんの不思議にも思わないで下さい。」
と語っています。
投稿されて文章の中には、「そんな強気になりたい今日は、、」と綴られていて母親の死から必死で立ち上がろうとする滝沢カレンさんの様子が分かります。
カレンさんの最愛の母・さゆりさんは、カレンさんを妊娠中にウクライナ人の父親が不倫して不倫相手の元に そのまま離婚し、女で一つでカレンさんを育ててきました。
滝沢カレンさん育て二人の絆はとても厚かったようです。
生前「さんま御殿」でも滝沢カレンさんと一緒に出演されており、カレンさんともとても仲が良い親子だったようです。
滝沢さんのブログやSNSには時々宮沢さゆりさんの話題が出てきますし、一緒に写っている画像を投稿されていました。
そんな最愛の母親を亡くし、仕事に穴を開けず頑張っていたカレンさんはとても凄いですね。
まとめ
今回の記事では、滝沢カレンさんの生い立ちとともに父親・母親・祖母・祖父など家族についても紹介させて頂きました。
天真爛漫な滝沢カレンさんからは、想像も出来ない壮絶な生い立ちのようです。
父親は会ったこともなく、最愛の母親・祖母は亡くなられていて、祖父は病に伏せていたという情報もあるので、滝沢カレンさんには、現在頼れる家族がいないということになります。
それでも気丈に明るく仕事をこなす滝沢カレンさんはとても強い女性ですね。
テレビで活躍する姿を益々応援していきたいと思います。